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旅と読書と歴史のブログ

旅行と読書と歴史が趣味のブログ主が、読書日記を中心に、日々考えていることなどを記載するブログです。

ネットで本を買って、自分も得しつつ本屋さんを応援する方法

雑記

街の本屋さんが次々と潰れているようです。

最近では、大型書店も例外ではなく、紀伊國屋書店も新宿南口店について、大幅に売り場を縮小するとのこと。

www.fashionsnap.com

 

 かくいう自分も、Amazonなどネット通販のほうが自宅まで届けてくれる点で便利なので、普段本を買うときは書店ではなくネットで買っています。時代の流れ、といえば仕方ないのかもしれませんが、一方で駅前などにある小さな書店がなくなる、というのは寂しいし、書店というのはなくなってみると意外と不便さを感じるものです。かくいう自分の地元も、昔は3軒あった本屋が、いつの間にか1軒だけになってしまいました。

  そのため、何かすこしでも地元の本屋を応援できないか、ということで、最近では、ネット通販で本を買うとき、ここを利用するようにしています。

 

 

  これは、取次(書店の問屋)であるトーハンが運営している本の通販サイトなのですが、取次としてトーハンを利用している書店であれば、このサイトの中で、予めMy書店として最初に登録しておくことで、自分がこのサイトで注文した本が、自動的にその書店で売れたものとして計算され、書店に収入が入る仕組みのようです。

 本の受け取りは、普通のネット通販と同じように配達してもらうこともできますし、登録した書店で受け取り、代金を支払うということも可能です。

  この仕組みだと、書店にとっては自分で仕入れや陳列をする手間なく売上になるので、すこしでも応援になればと思い、最近はここで本を買うようにしています。

 ちなみに、ハピタスGポイントに会員登録をして、その中にあるリンクからehonにアクセスすると、さらにサイトのポイントまで余計につくので、実は買う人にとっても、Amazonよりもこっちのほうがお得だったりします。

 本は定価販売のため、Amazonが安くてほかのサイトだと高いということもないので、自分も得しつつ近所の潰れてほしくない本屋を応援できるというこのサービス、普段ネットで本を買っている人は是非お試しください。

 

 

 ※前回記事は多くの方に読んでいただけたようで、ありがとうございました。今回の記事も気に入っていただけた方はシェアよろしくお願いいたします。

日本では、落書きから歴史が動いてきた

歴史 読書

江戸時代後期、松平定信が行った寛政の改革は、風紀の取り締まりを厳しく行い、出版や学問についてまで統制して幕府のコントロール下に置こうとする政策をとった結果、民衆の評判はすこぶる悪く、「白河の清きに魚も住みかねて 元の濁りの田沼恋しき」などと狂歌で皮肉られました。

その結果、最終的には印旛沼の干拓という公共事業の失敗をきっかけにして、老中の職を追われ、改革は失敗に終わります。

ちょうどその頃の出版統制の状況を書いた時代小説が面白かったので紹介を。

 

谷津矢車 学研マーケティング 2014-03-25
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この本を読んでいると、特に寛政の改革が失敗に終わることを知っている人間としては、行き詰った政権が批判を避けようとして出版を統制しようとするところ、そしてそれによって被害を被るのはただ面白いことだけを追求していた主人公である蔦屋重三郎をはじめとした一般庶民であることがよくわかります。

 

ところで最近は、匿名ブログのことを「落書き」などといって無視しようとしていた政治家の方がいらっしゃったようですが、その方はこういった日本の歴史をご存知なのでしょうか。

 

 

青春ミステリ版『水滸伝』~『退出ゲーム』感想

読書

水滸伝という中国の古典文学があります。

宋の時代、梁山泊と呼ばれる地に、英雄が一人、また一人と集まり、やがては国を動かすほどの力をつけていくという物語です。

自分が歴史好きなせいもありますが、こういった、困難を乗り越えて仲間を集めて、というのは、現代のRPGにも繋がる、非常に胸おどらせるストーリーになっております。

 

さて、今回は、歴史の話ではなく、読書日記を。

紹介するのは、今度「ハルチカ」のタイトルでアニメ化もされることになったこの本です。

 

 ストーリーとしては、吹奏楽部に所属する主人公たちが、普門館吹奏楽部の全国大会)に出場するため、有能な奏者(新入部員)を探します。
ところが、その過程で、奏者を入部させるにあたり、解決しなくてはならない謎や課題が生まれます。
例えば、全面真っ白なルービックキューブをどうやって完成するかだったり、どうやって自然に舞台から退出するかだったりと、人は死なないけれども、十分ミステリとして成立しうる問題。
 
それを解決すると、新しい仲間ができて、また次の話ではその新しい仲間も一緒に謎に取り組んで‥といった具合に、話が時系列で進み、主人公たちが成長しているのを感じられるのも、このシリーズの魅力です。
この、仲間が増えていくワクワク感は、まさに『水滸伝』のようなもので、アニメ化に際しては、単なる謎解きで終わらせず、そういった青春小説としての側面も描いてくれることを楽しみにしています。
 
またこのシリーズ、第5作まで出ていて、新作も最近出ているようですね。まだ読めていませんが、読んだらまた感想を書きたいと思います。
 
 

   

 

大学入試問題から日本史を考える(3)~戦国大名の特徴とは~

歴史

社会批評的な話が続いたので、今回は歴史プロパーの話を。

元ネタは2002年東大入試から。

 

(2002年東大入試より)

次のア〜エの文章を読んで,下記のA〜Dに答えなさい。

ア 室町時代,国人たちは在地に居館を設け,地侍たちと主従関係を結んでいた。従者となった地侍たちは惣村の指導者層でもあったが,平時から武装しており,主君である国人が戦争に参加するときには,これに従って出陣した。
イ 戦国大名は,自分に従う国人たちの所領の検地を行い,そこに住む人々を,年貢を負担する者と,軍役を負担する者とに区別していった。そして国人や軍役を負担する人々を城下町に集住させようとした。
ウ 近世大名は,家臣たちを城下町に強制的に集住させ,領国内外から商人・手工業者を呼び集めたので,城下町は,領国の政治・経済の中心地として発展していった。
エ 近世の村は,農民の生産と生活のための共同体であると同時に,支配の末端組織としての性格も与えられた。

設問
A 室町時代地侍たちは,幕府・大名・荘園領主たちと対立することもあった。具体的にどのような行動であったか。3行以内で述べなさい。
B 戦国大名は,何を目的として城下町に家臣たちを集住させようとしたのか,4行以内で述べなさい。
C 近世大名は,城下町に呼び集めた商人・手工業者をどのように扱ったか。居住のしかたと与えた特権について,3行以内で述べなさい。
D 近世の村がもつ二つの側面とその相互の関係について,4行以内で説明しなさい。

 

それぞれの設問は知識問題なんですが、この流れは室町→江戸の支配体制の変化を考えていく上で参考になりますね。

まず室町時代は、国人は土地に定着して地侍を支配し、さらに地侍は村を指導して、かつ武装して、戦争の際には国人に従い出陣しました。この時、国人の上位にいるはずの守護の存在は出てきません。つまり、室町時代の支配体制は、あくまで地域レベルでは、地侍が惣村をまとめ、それをさらに国人がまとめ、国人を国単位で守護大名がまとめる、という重層的な支配体制が想定されていたことがわかります。

※この過程については以前の記事で書いたとおりです。

 

しかし、この体制だと、場合によっては、村を実際に支配しているのは地侍なので、場合によってはその上位の支配者の命令に従わず、対立を生じることになります。特に、応仁の乱以降、守護や幕府の権威が弱まると、その傾向は特に顕著になりました。

 

そこで、これを克服するための試みがイになります。自分の家臣になった地侍に対しては、その土地から切り離して、自分の目の届く範囲内に置いて監視する、一方、農村に対しては、自らが直接その生産量を把握し、年貢を課す、それこそが、戦国大名の最大の特徴ということになります。

 

しかし、このやり方には一つ問題があります。

元々地侍たちは、生産力を持つ農村で、農業を営みつつ生活してきました。そのため、土地と切り離されると、日々の糧を得ることができず、生活していくことが困難になります。特に、戦乱が集結した近世以降は、新たに土地を敵から奪うということが想定されなくなったため、その問題はむしろ顕著になってきます。

 

その解決策がウです。つまり、農業の代わりに、城下町の商工業の発展を促すことで、城下町に集住した家臣団への物資供給を図ろうとしました。

一方、農村については、指導者層である地侍がいなくなったことで、大名が村単位で直接農民を支配する体制を取ることになります。その結果がエなわけですが、江戸時代以降の支配体制については、また稿を改めて書きたいと思います。

 

 

 

 

~豊臣秀吉が出世できた理由~現代は、いつの間にか戦国時代になっているのではないか

歴史

豊臣秀吉足軽という低い身分から出世したことで知られています。あるいは斎藤道三は、油売りから一国を得るに至ったと言われています。

 

一般的には、こういった人たちというのは、低い身分からスタートするというハンデがありながら、自分の実力だけで立身出世を果たした、というイメージが付きまといます。

 

しかしこの戦国時代、本当に低い身分からのスタートがハンデだったのでしょうか。

 

社会が安定していれば、確立したシステムと、それが長期間生み出してきた権威を持っていることは、絶大な強い力を持ちます。権威ある確立したシステムがあれば、人はその中で生きていくべくシステムに適応しようとします。すると、システムはさらに人を取り込んで巨大化していきます。

このような時代であれば、そのシステムの支配者の地位というのは、絶大な力を持った立場でしょう。

 

ところがいったん社会が安定しなくなり、しかも何らかの理由で社会の構造自体が変革を迫られるようになってくると、権威の元に人はなびかなくなります。そして、むしろ、確立されたシステムは、トップの一個人の力で変革するのは非常に困難なため、時代に迅速に対応する上での足かせとなります。

 

こういった変化の激しい時代に生き残るのは、変化に対応することのできたものが生き残り、そうでないものが滅びることになります。そうなった場合、変化に対応しやすいのは、むしろ何らの足かせも背負っていない、何も持っていないものです。

そういった立場こそ、失うものがなく、自分のアイデアをすぐに実行に移せる点で、最高のスタート地点ではないでしょうか。

 

そして、まさに戦国時代というのはそういう時代でした。

794年の平安京遷都以来、長らく日本の中心であった京都は応仁の乱で荒れ果て、それまで支配者であった幕府やそれを支えてきた守護大名は権威を失い、朝廷は元々武力を持たず無力になり、皆が武装する時代。

つまり、あらゆる権威は失われ、その権威を前提にしたシステムは無力となり、自分の身は自分で守らなければならない激動の時代。

そういう時代であれば、持たざるものは、そうであるからこそ、何のしがらみもなく自分の時代の変化に対応するためのアイデアを実行に移せました。それは、実は、その時代の生き残りのためには、最高の恵まれた立場からのスタートだったのではないでしょうか。

ところで現代に話を変えてみます。

現代もまた、ウェブの発達その他の理由から、昔なら表面化しなかったであろう問題が次々と表面化してきています。東芝のような大企業の会計不正であったり、あるいはマスメディアの誤報や偏向報道といった問題が表面化し、古い権威は失われてきています。

一方で新しい企業でも、ネットの口コミだけで一躍注目企業にのし上がることができる時代になりました。

 この状況、実は上の戦国時代とそっくりなのではないでしょうか。

そうであるならば、むしろ長い目で見た時には、大企業よりも、小規模ベンチャーや個人事業主のほうが生き残りやすいのではないでしょうか。

最近は企業からの給料に頼らず、様々なアイデアを元に副業で収入を得る人が増えているいるようですが、それもこういった時代を反映してのものなのかもしれませんね。

 

さて、偉そうなことを書いたけど自分は今後どうやって生き残っていこうか……

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新人が些細な理由でやめるというのは大問題だと思う理由

雑記

今回は会社勤めをしていて思うことを書いた雑記です。

 

毎年、新入社員が一年もたたずにやめてしまう上、辞める理由を聞くと、仕事が大変、自分探し、ちょっと叱られたから、など理解不能な理由で退職してしまう、これだからゆとり世代は‥といった声をよく聞きます。

 

確かに、新入社員が辞める理由について、そこだけ聞けば、それはないだろ、と思うような理由は数多くあります。

 

でも、それは本当にその人がやめたい理由なのでしょうか?

 

新人は、面接の時、就活を通じ、面接など様々な場面で、本音を隠して建前をいうことを求められてきています。それは会社に入っても、その傾向は変わるどころか、ますます強まっていきます。

では、そうして会社に入ってきた新人が、極めてまっとうな理由でやめることにしたとして、それを正直に言うでしょうか?

 

恐らくいわないでしょう。

 

会社を辞めるにも、後腐れがないよう、中身のない理由をいうか、あるいは、直近にあった些細なことを口実にして退職理由を説明する事の方が多いでしょう。

 

それは困る、ちゃんと理由をいってもらわないと改善できないじゃないか、という人もいるかもしれません。

 

しかしその一方で、ちゃんとやめる理由をいわず、些細な原因でやめると言ってくれた方がありがたい人もいます。

やめる人の直属の上司です。

 

直属の上司にしてみれば、退職理由を聞いて、内心でそれが本当でないと感じたとしても、根掘り葉掘り聞いて、自分の接し方に問題があったなどということになってしまえば、自分の責任になってしまいます。

そのため、あえて深くは聞かず、いい加減な理由でやめた、ということにしておけば、その新人が悪い、あるいはそのような人を採用した人事部や上層部が悪い、という責任逃れができます。

それを聞いた方は聞いた方で、やはり自分のマネジメントのせいになるのがいやで、結局やめた社員に問題があったことにしてまた責任逃れの報告を上に上げて・・・・・・という伝言ゲームをしているうちに、いつのまにか、会社の中で唯一反論できない新人に全責任が押しつけられ、会社の上層部に報告が行く時には、やめた人は些細な理由でやめてしまう、人間的に問題のある人だった、という形になっています。

 

すると、結果的に、会社の上層部の偉い人たちの認識としては、会社の側には問題がなかったのに、根性のない若者が些細な理由ですぐやめてしまった→これだからゆとり世代は・・・・・・となっていきます。

そのため、何も改善がされないまま、同じ事が繰り返されていくことになります。

会社に染まっていない新人だからこそ、そのような風通しの悪さを感じて、直ぐにやめてしまうのではないでしょうか。

 

だからこそ、会社の上層部が、新人が些細な理由でやめる、といっているのは、会社の組織が腐り始めていることを示す点で、大問題だと思うわけです。

 

……こんなことを考えるのも、自分の上司が、やめた新人についての悪口を上に言っているのをたまたま聞いてしまい、転職のためキャリア診断などを始めているからです。

きっと戦国時代に家臣に見放されて滅びた大名家というのも内実はそんなところだったのではないでしょうか。

 

 

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大学入試問題から日本史を考える(2)~室町時代に守護の力が強くなったのは、鎌倉時代の反省から?

歴史

前回の続きです。

元ネタは2011年東大入試から。

 

 

(2011年東大入試より)

つぎの表は,室町幕府が最も安定していた4代将軍足利義持の時期(1422年)における,鎌倉府の管轄および九州をのぞいた諸国の守護について,氏ごとにまとめたものである。この表を参考に,下の(1)・(2)の文章を読んで,下記の設問A〜Cに答えなさい。

赤松 播磨,美作,備前
一色 三河,若狭,丹後
今川 駿河
上杉 越後
大内 周防,長門
京極 山城,飛騨,出雲,隠岐
河野 伊予
斯波 尾張遠江,越前
富樫 加賀
土岐 伊勢,美濃
畠山 河内,能登越中紀伊
細川 和泉,摂津,丹波,備中,淡路,阿波,讃岐,土佐
山名 但馬,因幡伯耆,石見,備後,安芸
六角 近江

(1) 南北朝の動乱がおさまったのち,応仁の乱まで,この表の諸国の守護は,原則として在京を義務づけられ,その一部は,幕府の運営や重要な政務の決定に参画した。一方,今川・上杉・大内の各氏は,在京を免除されることも多かった。
(2) かつて幕府に反抗したこともあった大内氏は,この表の時期,弱体化していた九州探題渋川氏にかわって,九州の安定に貢献することを幕府から期待される存在になっていた。

設問
A 幕府の運営や重要な政務の決定に参画した守護には,どのような共通点がみられるか。中央における職制上の地位にもふれながら,2行以内で述べなさい。
B 今川・上杉・大内の各氏が,在京を免除されることが多かったのはなぜか。2行以内で説明しなさい。
C 義持の時期における安定は,足利義満の守護に対する施策によって準備された面がある。その施策の内容を,1行以内で述べなさい。

 

 

解答としては、Aについては三管領、四職の有力守護大名がいずれも機内周辺を含む複数の国を持っていたことを指摘すれば十分でしょう。

 

ところで、B,Cの答えを考える前提として、前回の記事で書いたことを再度ここで考えてみます。

 

booktravelhistory.hatenablog.com

 

鎌倉幕府が抱えていた矛盾というのは、結局のところ、関東にいる各御家人に全国各地の荘園の支配権を認めたため、結果的に地方に対し支配が行き届かなくなったというものでした。

 

そこで、室町幕府がなぜこのような体制になったかは、この問題を解決する方法を考えてみるとわかりやすいです。

この問題への一番の解決策は、中間支配層を作ってしまうことです。

各御家人が直接幕府に奉公するという体制を放棄して、幕府→各国の守護→各国内の荘園という支配体制を構築してしまえば、幕府は各国の守護を統制するだけでよく、後のことは各守護に任せてしまえば、間接的ですが地方に対しても影響力を及ぼすことができます。

 

そのため、幕府としては、京都周辺を支配する守護には在京させて幕府の監視下に置き、一方で地方の守護には、度々在京を免除して地方の支配を任せる、といった政治体制がをとったと見ればわかりやすいでしょう。これがBの答えでしょう。

 

かつ、(2)を見ると分かる通り、地方支配にあたったのは、「幕府に反抗したこともある」大内氏でした。

つまり、室町幕府は、敵を滅ぼすのではなく、力を弱めた上で(領国を削減して)支配体制の中に取り込んで、地方支配に利用していたことがわかります。

室町時代に守護の力が強かったことについては南北朝の動乱の中での妥協の産物、という見方もありますが、むしろ守護の力をうまく利用する、という理由が幕府の側にもあったのではないか、と考えると、このような体制が取られた理由がわかります。

そうなると、Cの答えとしては、よく教科書に書かれているような、守護大名の力を弱めた、というだけではなく、その後幕府の体制に取り込んで支配の強化に利用した、というところまで指摘することが求められているのではないでしょうか。

 

ただ、このやり方というのは、結局幕府の力が守護の力に依存することになるので、いったん幕府の権威が弱まって守護への統制が効かなくなると収拾がつかないことになります。

その結果がその後の応仁の乱から戦国時代に続いていくわけですが、その話はまた次の機会に。

 

 

※前回記事は多くの方に読んでいただけたようで、ありがとうございました。今回の記事も気に入っていただけた方はシェアよろしくお願いいたします。